加地亮が28歳で日本代表を引退した真相。「自分が壊れてしまうと...」 (5ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by Koji Watanabe/Getty Images

 結果的にその挑戦は半年に終わったが、そこでの時間によって新たなサッカー観を備えられたことは、2015年にJ2のファジアーノ岡山に移籍するうえでも、大きな力となった。

「まさかのチームの解散に伴って、チーヴァスでのプレーは半年に終わりましたが、現地の緩やかな雰囲気に触れ、『リラックスしてサッカーに向き合う必要性』を感じられたことは、プロキャリアの後半を過ごすうえで、貴重な時間となりました。

 と同時に、その経験は岡山という発展途上にあるチームでプレーするうえでもすごく役に立ったというか。チーヴァスに行っていなければ、もしかしたら自分の経験値を(岡山のチームメイトに)押しつけるばかりになっていたかもしれない。それでは、周りも萎縮していたはず。

 でも、(チーヴァスに行ったことで)チームのレベル、選手の質を踏まえて、まずは自分を変化させることを考えた。そのうえで、仲間に言葉を掛けられるようになったこと、信頼関係を築けたことは、僕にとっても大きな財産になりました」

 もっとも"J1昇格"という目標を実現したいと考えればこそ、これまでどおり、「ピッチでは身をもって自らの考え、姿勢を示すこと」も忘れなかった。

 そのために、前編の冒頭で記したような"戦える自分"を保つための準備を重ねた。いや、キャリアを積むにつれ、その準備はより綿密になり、気がつけば、岡山時代のクラブハウスへの到着時間は、ガンバ時代の約2時間半前を大きく上回る、4時間前になっていたと聞く。

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