川崎Fの歴史は、中村憲剛の歴史。いま感じる「やっぱ優勝はいいな」 (2ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • 山添敏央●撮影 photo by Yamazoe Toshio

 中村が川崎に加入した14年前、川崎はJ2でもがいていた。J1優勝を頂上とするならば、当時の川崎はかすむ頂上を見上げながら、2、3合目を登っていたというところだろう。

 中村自身にしても、有望な新人と期待されて入ってきたわけではない。大学時代も、年代別代表やユニバーシアード代表はおろか、関東選抜にすら選ばれたことがなかった。本人が「絶対にプロになる」と信じて荒海に飛び込む選択をしていなければ、確実に淘汰されていたはずの選手だった。

 プロ2年目の2004年には、主力選手として活躍し、川崎のJ1昇格に貢献するのだが、それでも舞台はJ2である。彼の存在は"知る人ぞ知る"の域を出るものではなかった。

 当時、J2でプレーしていた中村にとっては、J1に触れる唯一の機会だったのが天皇杯。鹿島アントラーズと対戦し、小笠原満男とプレーしたことをうれしそうに、それでいて少し悔しそうに話していたのが懐かしい。

 1980年生まれで、しかも無名の存在だった中村にとって、1979年生まれ(1980年早生まれを含む)の小笠原ら"黄金世代"は年齢こそ近いものの、いわば雲の上の存在だった。中村はまばゆいばかりの光を放つ彼らに、少しずつでも近づけていることの手ごたえを感じていたのかもしれない。

 ちなみに、2010年ワールドカップ南アフリカ大会前の鹿児島キャンプでは、練習試合で小笠原、遠藤保仁、稲本潤一と4人で中盤を形成したことがあった。無名の大学生が"ついに黄金世代に追いついた"瞬間である。日本代表出場記録にも残らない練習試合でしかなかったが、中村のキャリアにおいて、ある意味で特筆すべき試合だったかもしれない。

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