あの痛快なサッカーはどこへ?レノファ山口に見る小クラブ転落の構図 (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Masahiro Ura/Getty Images for DAZN

 他に例を見ない"スピード出世"は称賛に値するが、一方で、そのスピードに"クラブ力"がついてこられず、山口は現在、大きな壁にぶち当たっている印象を受ける。

 現在の残留争いは、いわば山口がJクラブを目指して以降、初めて直面すると言ってもいい苦境だろう。そんな状況にあって、クラブは適切な対応ができたのだろうかと考えたとき、どうにも疑問をぬぐえないのが、今季途中の監督交代である。

 もとを正せば、昨季までの山口の強さは、すでにJリーグで実績のある選手や、有望な新卒選手を集めて成り立っていたわけではない。それまでJリーグでプレーしたこともないような無名選手を鍛え、豊富な運動量をベースに判断と連係を磨くことで、地域リーグを戦っていたクラブは短期間でJ2の中位につけるまでに成長した。

 選手ありきではない、そんな叩き上げの集団を作り上げたのは、言うまでもなく、JFL時代から指揮を執ってきた上野前監督である。

 それを考えれば、選手が入れ替わったことで多少の時間はかかったとしても、選手がピッチ上をハツラツと駆け回る"レノファらしい"攻撃サッカーが、再び見られる可能性は十分にあったはずだ。

 実際、ある選手からは「結果は出ていなかったが、サッカーの内容はよくなってきていたのに、なぜ(監督を)代えたのか......」という声も聞かれた。上野前監督が退任時にクラブを通じて出した「新加入の若い選手たちが伸びてきて、さあ、これからというときだっただけに残念でならない」というコメントも強がりばかりとは言えない。

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