注目のポドルスキはスタッフも面白い。専属通訳の破天荒なサッカー人生 (3ページ目)

  • 了戒美子●文 text by Ryokai Yoshiko 原悦生●写真 photo by Hara Etsuo

「ホテルもきれいだし、寒い時期でもきちんとお湯が出る。道路も舗装されているし、ヨハネスブルクなんてすごい都会です。もちろん治安は悪いんだけど、それでもこれならいけると思った」

 南アフリカでは3シーズン、プレーした。その間には2010年W杯もあり、日本戦のテレビ中継に呼ばれ、中田英寿や北沢豪らと出演している。

「南アのリーグ全体が獣(けもの)みたいな選手ばかりで、練習から激しくて、この時代は脛(すね)とか毎日血だらけでした。だからその後、ドイツに行ったときは全然楽でした。そんな世界なのに、すごい選手がいっぱいいるんですよ。宝石箱みたいな世界、『キャプテン翼』の世界です。相手が塊で突っ込んできているのにフワーンとかわしたり、ロナウジーニョみたいに見たこともないようなフェイントをしたり」

 11年3月、南アで所属した2つ目のクラブ、ダーバンという都市にあるレイモンドビル・ゴールデン・アローズで監督が交代。ビーレフェルト(ドイツ)を1980年代から2000年代までに3度指揮したエルンスト・ミッテンドロップがやって来た。この出会いがその後の村上氏の選択を大きく左右した。SAP社の分析システムを導入するなど、緻密かつ知的にチームを指揮する一方で、試合になると叫びながら指示を出す指揮官の姿にも惹かれた村上氏は、ドイツへの思いを募らせ、ダーバンとの契約延長オプションを行使せず、ドイツに渡った。

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