Jリーグ、Kリーグ、北朝鮮代表......安英学はたくさんの橋を架けた (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  photo by Getty images


 想像してみよう。まったく無名で無所属の19歳の若者とサッカー部でもなかった24歳の男が夢だけを信じて、たったふたりでプロを目指してボールを蹴っていたのだ。「もう年齢的にも遅い」「この1年の空白は埋まらない」「同世代の選手の経験にはもはや追いつけない」等々、諦めるための言い訳を考えれば、数え切れなくあり、ほんの少しでも信念が揺らいだら、その夢ははかなく消えていっただろう。

 しかし、安はやり遂げた。立正大に合格し、4年後にはアルビレックス新潟に入団し、プロになったのである。さらには北朝鮮代表にも招集された。新潟でどれほど愛されたかは前編で書いた。

 2006年にはKリーグの釜山アイパークに移籍する。北朝鮮代表でありながら、韓国に渡るというアクションは分断された国家の北と南を、在日という立場から橋を架けることに繫がった。しかし、同時にそれはもう北朝鮮代表でのプレーは終わったというふうに周囲の目には映った。

 在日サッカー界の関係者は「この(北から南に行く)パターンは本国から見れば、脱北と捉えられてもおかしくない動きですからね。彼が平壌から代表として呼ばれることはもうないでしょう」と語っていた。事実、過去に同じキャリアの軌跡を描いた選手には二度と声がかからなかった。

 ところが、安はこの前例のないことをやってのけた。チームのために闘う姿勢とリーダーシップが評価されて、南アフリカW杯予選前、再び北朝鮮代表に召集されたのである。スポーツの力が政治を上回ったとも言えようか。チームメイトもまた「お前、よく戻ってこられたな」と喜んでくれた。南北関係が冷え込んでいたときだけに誰もが驚いたが、またもパイオニアとなった。そして、ついにW杯に出場。グループリーグに出場した全選手の中で最も長い距離(36.22Km)を走り、その名を刻んだ。19歳の頃の彼に、この素敵な未来は描けていただろうか。

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