在籍わずか3年でも、安英学の引退セレモニーが新潟で開催された理由 (2ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  photo by Nikkan Sports/Aflo


 2002年9月、日朝首脳会談において北朝鮮政府は日本人拉致を事実として認め、謝罪した。この年、安は立正大学から新潟に入団していた。まさに拉致が行なわれた日本海の都市である。安と拉致はまったく何の関係もない。しかし、属性が朝鮮籍、南北統一サッカー大会の北朝鮮代表に選出されたということで、当初向けられた風当たりの厳しさは想像するに難くない。アルビレックスのサイトには北朝鮮=安という具合に結びつけて誹謗する投稿も多々あった。また北朝鮮と定期航路を結ぶ万景峰(マンギョンボン)号が新潟港入港に再就航することの反対運動も市内では起こった。これらは否応なく目に映ったことであろう。

 それでも安の誠実で気さくな人柄、チームのために献身的に走り回るプレースタイルはサポーターを中心に大きな信頼を市民から克ち得ていった。安は当時のインタビューでこう答えている。

「新潟にとって、僕がスポーツで貢献できればと思うんです。日本の方でよい印象を持たない方も僕のプレーを見て、『おっ、やるじゃないか』とプラスに考えてくれるんじゃないかと...」

 その気持ちに応えるかのように、ある日練習場で男性のサポーターが「政治とスポーツは別だからね。僕たちはサッカー選手の安英学を応援しているから」と声をかけてくれた。

「新潟のために戦う」

 安はプレーで自分を表現すると同時に、一方で新潟の朝鮮初級学校にも頻繁に顔を出し、同胞の子どもたちを励ました。

「本当にあの頃にヨンハギ(英学の愛称)が新潟にいてくれたおかげで、どれだけ私たちが助けられたことか......」

 このように感極まる父兄たちの声を筆者は数多く聞いた。同様に日本人のサポーターからも「祖国を信じていたのに、(拉致発覚で)裏切られ傷つけられた在日の人たちの気持ちに思いを馳せることができた。それは安くんがいたから。想像する気持ちを学んだ」と。

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