短すぎた札幌・小野伸二の浦和凱旋。「天才」に懸ける手はなかったか (2ページ目)

  • 井川洋一●取材・文 text by Igawa Yoichi
  • photo by Getty Images

 そして、どんなプレーで難局を打開しようとしたのかと問われると、「2点差だったので、とにかく1点取らないといけない。だからどんな形であれ、点を取れるようにと。後半になってスペースも空いていたので、間でボールを受けて、フォワードを活かしたり、サイドに広げたり、まあ色々やりたいなとは思っていましたけど、時間が時間だったから、なんにもできなくて」と最後は苦笑い。甘い笑顔に悔しさを封印したが、その気持ちは十分に理解できるものだった。

 首位・浦和とのアウェー戦に臨む札幌の状態は、万全からはほど遠いものだった。ジュリーニョ、ヘイス、金園英学といったアタッカーの多くが負傷で離脱しており、エースの都倉賢の相棒を誰が務めるのかが焦点のひとつになっていた。

 前節は内村圭宏が先発したが、負傷により途中交代。しつこい股関節痛を克服し、5節と7節に途中出場した小野がスタートから都倉と前線を組んでも不思議ではなかった。なにしろ、およそ6年ぶりの古巣への凱旋でもあったのだから。

 だが、四方田修平監督は「浦和のサイドチェンジに対応するため」に、5バックと4人の中盤を選択し、1トップに都倉を配した。現在のJリーグでひときわ高い得点力を誇る浦和を相手に、人数をかけて引いて守るやり方は理にかなった対抗策と言える。右サイドハーフを任された18歳の菅大輝は攻守にハードワークし、先制点を奪われた後には兵藤慎剛の同点ゴールをヘディングでアシスト。札幌の指揮官のアプローチは手堅いものではあったが、ここまでは策の奏功を印象づけた。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る