「フジタ」撤退から激動の10年。それでもベルマーレは消滅しなかった (4ページ目)

  • 川端康生●文 text by Kawabata Yasuo
  • photo by Kyodo News

 もっと言えば、親会社なしでも継続していけるクラブ、つまり創設時にJリーグが目指した"企業スポーツからの脱却"のモデルを、いまベルマーレで作らなければ、そんな覚悟も重松の言葉には滲んでいたように思う。

 だから、まず"存続ありき"。そのために"支出ありき"から"身の丈経営"への移行を、具体的な数字とあからさまな表現で訴えた。

 実は、重松は広島国泰寺高校、慶応大学、東洋工業と活躍した元選手であった。引退後は、日本リーグ創設にも尽力した。藤和不動産の藤田正明社長との縁で、サッカー部の創部にも関わっている。

 その後、1975年には、広島カープの社長として初優勝を成し遂げ、再びサッカー界に戻ってからは協会で専務理事などを務めてきた。

 つまり、現在の日本サッカーとベルマーレに、その誕生から関わってきたということだ。

 スポーツにおいても、経営においても豊富な知見を持ち、しかもサッカー協会(Jリーグ)とも、フジタとも、太いパイプを持っている、そのような人物が(おまけに、もともと経理マンで数字にも強かった)このとき社長を務めていたことはベルマーレにとって幸運だったと思う。

 Jリーグ、フジタ、そして銀行との交渉役として、これほどの適任者は見当たらないからだ。

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