「フジタ」撤退から激動の10年。それでもベルマーレは消滅しなかった (2ページ目)

  • 川端康生●文 text by Kawabata Yasuo
  • photo by Kyodo News

 だが、内実は違ったのだ。観客動員が減少したからでも、テレビ視聴率が低下したからでもなく、親会社の経営不振によってチームが消滅した。要するに、クラブ経営は相変わらず親会社からの支援に依存しており、いかに"脱却"を掲げていようと、Jリーグは"企業スポーツの延長線上"にあった......。

 フリューゲルスの消滅は、そんな現実を露呈することとなったのである。

 そして、佐藤工業を覆った暗雲は、同じ建設業のフジタの頭上にも広がっていた。

「これまでとは違う経営をしなければならなくなったので説明させてもらいます」

 ベルマーレ社長の重松良典はそう切り出した。1998年11月27日、平塚のクラブハウスで行なわれた会見である。

 続けて、「フジタが合理化を進めていて、今後はベルマーレの支援が難しくなった」ことを告げた。バブル崩壊後の不良債権処理が引き金となって起きた"ゼネコン危機"にフジタも飲み込まれたのだ。

 それが、ベルマーレを直撃することはフリューゲルスの例から見ても明らか。佐藤工業とフリューゲルスに起きたことが、フジタとベルマーレに起きても何の不思議もない。そんな状況だった。

 しかし、重松の話は少し違った。滔々(とうとう)と2時間。語気を強めることもなく淡々と、こんなふうに話し続けたのだ。

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