J2ベルマーレのスポンサーに戻ってきた「フジタ」の偉大なる過去 (7ページ目)

  • 川端康生●文 text&photo by Kawabata Yasuo

 ただ、ベルマーレのJリーグ昇格もすんなり決まったわけではなかった。昇格条件の「JFL1部2位以内」はクリアしたものの、「スタジアム基準」でJリーグから"クレーム"がついたのだ。

 だが、押し切った。わずか5カ月弱の工期で平塚競技場を改修。実現できたのは石川京一平塚市長(当時)の英断と、フジタによる採算度外視の突貫工事のおかげだった。

 そんな平塚競技場でベルマーレは躍動する。

 デビューシーズン、第1ステージこそ11位だったが、第2ステージではヴェルディ川崎と優勝争いを演じる快進撃。結果的に2位で涙を呑んだが、そのままの勢いで天皇杯を勝ち進み、1995年元旦には国立競技場でカップを掲げた。

 祝勝会はフジタ本社で行なわれた。国立競技場から程近い千駄ヶ谷に4年前竣工したばかりの18階建て本社ビル、その1階にメセナ活動として設置した公開スペース「ヴァンテ」にチームと関係者、そして応援する社員たちが集まり、祝杯をあげたのだ。

 明けた1995年、小島は日本代表に選ばれ、社員からプロ選手になった。小島だけではない。名良橋が、岩本が、名塚が、野口が、田坂和昭が次々と日の丸をつけた。

 優勝争いをすることは決して多くなかったから、「強いチーム」だったとは言わない。しかし、ベルマーレは個性的な選手がそろう「魅力的なチーム」だった。

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