名波、福西らが推測。ジュビロの
N-BOXは銀河系レアルに通用したか

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

日本に初めて登場した本物のレフティ

 伊東にとって、名波は特別な選手だった。

 最初に見たのは、まだ清水商業高校の学生の頃だった。とりわけ強く印象に残っているのが、名波が最終学年を迎えた1991年1月に行われた第69回全国高等学校サッカー選手権である。

 スター軍団として知られ、レギュラー11人中9人がのちにJリーガーとなる超高校級のチームを中盤で操っていたのが、名波だった。

「とんでもない選手が現れたなと。決してスピードがあるわけではないけれど、周りに目を配れて、タメを作れるという意味では、昔の、70年代でいうゲームメーカーという感じ。左足のテクニックは超一流だし、サッカーを見る目も独特で、確固たるサッカー観を持っているというのは、その後もずっと思っていました」

 順天堂大学を卒業した名波が磐田に加入したとき、磐田の担当だった伊東は、当時の誌面にあった各チームの情報コーナーのひと言コラムに「ファーストタッチが微妙に浮く。これではプロで通用しないぞ」と書いた。

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