完成間近だったジュビロの革新的システム、N-BOXが封印された理由 (2ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 ドリブルで磐田陣内に侵入してきた遠藤保仁のマークに、すかさず名波浩がつく。急ターンでかわそうとする遠藤に、名波が対応しようとした瞬間――。

「右の膝がパキーンってなって、激痛が走ってね。でも、すでに3人交代していたし、2-0で勝っていたから、最後までプレーしたんだ。試合後、アイシングしてミックスゾーンを抜けてバスに乗るまではよかったんだけど、寮まで5分から10分、バスを降りるときには歩けなかった。車のアクセルも踏めなくて、チームメイトに運転してもらったのを覚えている」

 診断結果は、右膝半月板損傷――。重傷だった。

 名波を失った磐田は、N-BOXをいったん封印せざるを得なくなった。N-BOXは名波なくしては成り立たないシステムだからだ。実際、名波離脱後の磐田は、藤田俊哉をトップ下に置く、従来の3−5−2に戻して戦っている。

 コーチを務めていた柳下は、名波と藤田という、ふたりの稀代のミッドフィールダーについて、こう評した。

「俊哉は自分のアイデアをどんどん出していくタイプで、飛び出して点も取れるからアタッカー色が強い。名波も同じようにアイデアが豊富なんだけど、周りに合わせることも得意。それに後ろにも気を配ることができるから、前後の距離感がすごくいい。まさにチームのヘソ。ふたりは得意なプレーゾーンが決定的に違うんです」

 名波を欠いた磐田は、エコパスタジアムのこけら落としとなった第9節の清水戦で押し気味に試合を進めながら、延長戦で凡ミスを犯して決勝ゴールを与えてしまう。連勝は8でストップした。
                   
 名波離脱と初黒星のショックに追い打ちをかけるように、選手たちのモチベーションを大きくダウンさせる出来事が起きたのは、それから1週間後のことだった。

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