ジュビロのN-BOXが炸裂した2001年、ライバル鹿島との一戦 (2ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi


 だが、頭で理解していても、スムーズに機能させるとなると、話は別だ。

当時を振り返る、現・磐田監督の名波氏            Photo by Sportiva当時を振り返る、現・磐田監督の名波氏 Photo by Sportiva 日本代表のフランス遠征と、同時期に開催されたアジアクラブ選手権のインドネシア遠征を挟んで行なわれた3月31日の第3節でも、磐田はFC東京戦に1-0と勝利したが、選手たちは依然として確かな手応えを得られずにいた。

「東京戦は俺もハットもフランス帰りでコンディションが相当悪かったのを覚えているけど、それを差し引いても、しっくりこなかった。3試合とも、ただただ気持ち悪い感じだった。相手がリスペクトして及び腰になってくれたから、勝てたんだと思う」          

 名波がそう振り返れば、福西も同調するように言う。

「開幕から3試合は、ごまかしながらやっている感覚がありました。試合に勝っても、みんなが『うーん』って唸っていた。満足していた選手は誰もいなかった」

 鈴木秀人が実感していたのは、横へのスライドの難しさだ。

「左はボランチのハットがサイドに出たり、センターバックの位置に入ったりして、約束事ができつつあった。一方、右はフク(福西)だから、そこまでの運動量はない。でも、(藤田)俊哉さんを後ろに引っ張ると意味がないから、フクに『サボるな!』とか『行け!』とかよく言ってました。ただ、それでフクの攻撃力を削いでしまってもよくないから、とにかく話し合って、互いにカバーしながらやってました」

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