伝説のジュビロN-BOXは、選手たちの
反発と戸惑いからスタートした

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 2月17日に行なわれた最初の練習試合では、ガンバ大阪に3-0と勝利した。

 この一戦で鈴木は「こいつらなら、やれる」と手応えを掴んだが、名波は「ただ勝っただけ」と正反対の感想を覚えていた。

「なんの手応えもなかった覚えがある。個人的にも、ボックスの中央にいることの心地良さとか悪さとかがイマイチ分からなかった。ボールに触る回数も、ボランチなら80回以上、トップ下なら70回以上という目安が自分の中にあるんだけど、そこではどれくらい触ればいいのか、定まっていなかったから」

 磐田にとって新戦術の完成をさらに困難にさせたのは、練習試合の翌日に名波ら6人が日本代表候補合宿のために、チームを離れなければならないことだった。代表選手が不在のなか、大分トリニータ、ベガルタ仙台と練習試合を重ね、試行錯誤を繰り返した。

 3月6日、世界クラブ選手権の組み合わせ抽選会が行なわれた。レアル・マドリードと対戦したいという想いが通じたのか、磐田はレアル・マドリード、ハーツ・オブ・オーク(ガーナ)、ロサンゼルス・ギャラクシー(アメリカ)と共にグループCに組み込まれ、なんと初戦でレアル・マドリードと、彼らのホームスタジアム、サンティアゴ・ベルナベウで対戦することが決まった。

 もっとも、3バックの右ストッパーとして右サイドの守備で大きな役割を担った鈴木秀人には、レアル・マドリードとの対戦が決まって喜んだ覚えはない。

「新システムがしっくりこなくて、それどころじゃなかったんだと思います」

 2001年シーズンのJ1リーグ開幕は、4日後に迫っていた――。

(つづく)

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