2017.01.24

伝説のジュビロN-BOXは、選手たちの
反発と戸惑いからスタートした

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

2001年シーズン、磐田のヘッドコーチを務めていた柳下氏 photo by Sportiva「みんながブツブツ言っていたから、『いいから、まずはやってみろ』と。そんなようなことを言った覚えがありますね」

 のちに鈴木の後任として磐田を率いることになる柳下は、鈴木よりも5歳年下で、ヤマハ発動機サッカー部でともにプレーした間柄である。

「マサくんは戦術家ではあるんだけど、それを選手に落とし込むのがうまいというか、個性の強い選手たちをまとめるのがうまい監督で、選手たちも親しみを込めて『マサくん』と呼んでいた。ただ、選手たちとの距離が近すぎて、ちょっと甘い部分があると感じたので、僕が叱り役といいますか、強く言うようにしていたんです」

 柳下に促された選手たちはグラウンドに出て紅白戦を行なった。だが、「難しい」との直感が正しかったのか、「難しい」との先入観を持ってしまったのが問題だったのか、ギクシャクしたままタイムアップを迎えた。

 2月12日からスタートした宮崎キャンプで、鈴木がホテルのミーティングルームに一部の選手を集めたのは、その日の夜のことだった。

「大久保グラウンドで紅白戦をやってみて、選手たちが拒否反応を示しているように感じたので、もう一度しっかり話しておこうと思って、中心選手と若手のリーダー格の7人を呼んだんです」

 集められたのは、中山雅史、藤田俊哉、名波、服部年宏、鈴木秀人、田中誠、佐伯直哉の7人である。指揮官は改めて、新戦術のメカニズムやそれにトライする理由や価値について熱く説き、選手たちも各々が感じていることを言葉にしてぶつけた。

 討論とも表現できる徹底的な話し合いは2時間以上にわたり、互いに言い尽くしたあと、その場が1分ほど静まり返った。

「マサくん信じて、やってみるか」

 沈黙を破ったのは、中山だった。この一言で長時間に及んだミーティングは幕を閉じた。だが、それで何かが解決したというわけではなかった。