伝説のジュビロN-BOXは、選手たちの反発と戸惑いからスタートした (3ページ目)
選手たちが示した拒否反応
その構想を初めて聞いたとき、名波はよく理解していなかった。新戦術・新システムにトライする意味も、自身に託された任務の重要性も。
「結局は自分がトップ下になって、前の2人がアウトサイドになって、従来の3−5−2のようになるんだろうなって。無理矢理そうさせないところにどんな意図があるのか、ピンと来なかった。前年の3バックを踏襲しているわけだから、そんなに劇的に変わる印象もなかったから」
2001年2月1日、磐田の新シーズンは、クラブハウスのある大久保グラウンドから始まった。
宮崎で行なわれる合宿に備えて、10日間ほどフィジカルトレーニングを積み、コンディション調整に励んだ。指揮官によって新シーズンの指針が明らかにされたのは、最終日のことだった。
ミーティングルームのホワイトボードには、従来の3-5-2とは異なる形でマグネットが並べられ、指揮官が熱弁を振るった。
「すべてのタイトルを狙っていこう。世界と戦うために新しいサッカーに挑戦するぞ。世界とやるには、これじゃないとダメなんだ」
選手たちの視線は、ホワイトボード上の特異なシステムに注がれていた。
従来の3-5-2(左) 新システム「N-BOX」(右) サイドに人が配されていない常識外れのシステムに、選手たちの反応は芳しくなかった。彼らに疑問が生じるのも当然のことだった。従来の3-5-2でうまくいっているのに、なぜ変える必要があるのか、しかも、より複雑で、難解で、機能する保証のないものに、なぜトライしなければならないのか.....。
「マサくん、これ、難しいよ」との声が上がる。渋る選手たちを一喝したのは、コーチの柳下正明だった。
3 / 6