すべてはレアルを倒すために。ジュビロ黄金期の「N-BOX」とは何か (7ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 ならば、4バックを採用するのはどうか。しかし、当時の磐田には右サイドバックを本職とする選手がいなかった。

「そこで、はじめから置かないのはどうだろうかと考えた。もうひとつ、中盤にいい選手が多かったから、彼らの能力を最大限に活かしたいという思いもあった。だから、ワイドに選手を置くのではなく、中盤をコンパクトにして中央を固め、サイドにボールを出させて、チーム全体で一気にプレッシャーをかけて奪い取ろうと」

 新戦術・新システムが像を結びはじめた。ともすれば、机上の空論に陥りかねないアイデアを実現可能であると判断させたのは、選手たちの技術とセンス、サッカー観だった。

「ハンス(オフト)のもとで94年から3年間、徹底的に基礎を学んだ後、フェリペ(スコラーリ)やバウミールらブラジル人監督のもとで勝つためのメンタリティを身につけた。フォーメーションも3-5-2、4-4-2の両方をやってきたし、守備もマンマーク、ゾーンの両方を経験して、必要なことをすべてやってきた。選手一人ひとりのサッカー観も技術もしっかりしていたので、下地はできていると思ったんです」

 新戦術・新システムを機能させるためのポイントは、全体をコンパクトに保ち、チーム全体がスムーズにスライドしてプレッシャーをかけること。それには、中盤の真ん中でバランスを取り、ときにトップ下に上がって攻撃のタクトを振るい、ときに後ろのスペースにも目を配れる司令塔の存在が不可欠だった。

「それは、名波を置いてほかにいませんでした」


(つづく)

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