すべてはレアルを倒すために。ジュビロ黄金期の「N-BOX」とは何か (5ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 クラブ世界選手権は2000年に新設されたばかりの大会である。その年の1月にブラジルで開催された第1回大会は、各大陸の王者に、開催国枠でブラジルのコリンチャンス、招待枠で1998年のトヨタカップ優勝のレアル・マドリードを加えた8チームによって争われ、コリンチャンスが初代王者に輝いていた。

 1999年のアジアスーパーカップ覇者である磐田は、2001年7月にスペインで開催される第2回大会への出場が決まっていた。日本のクラブがヨーロッパや南米のクラブとの真剣勝負に挑むのは初めてのことで、この大会への参戦は磐田にとって新シーズンの最大の目標であり、ハイライトになるはずだった。

「97、98、99年と、ジュビロはタイトルを獲得してきましたが、右肩上がりに進化しているかというと、私のイメージではむしろ落ちてきているんじゃないかと感じていたんです。Jリーグでもそうなのだから、現状のままでは世界と戦うのは難しい。いろいろと考え直さないといけないから、『ちょっと時間をください』と社長に言ったんです。それで、コーチの柳下正明や山田松市と意見交換をしました」

 この時点では、大会の組み合わせ抽選は行なわれていなかったが、開催地がスペインであること、ヨーロッパ王者であるレアル・マドリードの出場が決まっていたことから、鈴木のイメージする仮想敵はおのずと、この年12月にFIFAによって認定される「20世紀最高のクラブ」に定まった。

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