すべてはレアルを倒すために。
ジュビロ黄金期の「N-BOX」とは何か

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

2001シーズンを指揮する意味

2000年9月から2002年までジュビロの監督を務めた鈴木政一氏 photo by Tanaka Wataru2000年9月から2002年までジュビロの監督を務めた鈴木政一氏 photo by Tanaka Wataru 契約の延長を打診されて、嬉しくない監督はいないだろう。しかし、その時の鈴木は簡単に首を縦に振るわけにはいかなかった。

 磐田の前身であるヤマハ発動機サッカー部で現役時代を過ごした鈴木が、磐田のサテライト監督やスカウトなどを経てトップチームの監督に就任したのは、2000年9月のことだった。

 シドニー五輪とアジアカップによるリーグ中断中に、成績不振で解任されたギョキッツァ・ハジェブスキー監督の後任に就くと、リーグ再開後の5試合を4勝1敗で駆け抜け、チームを見事に立て直す。その手腕が評価され、鈴木はクラブから新シーズンも指揮を執るよう要請されたのである。

「私が途中就任したとき、選手たちは能力の70パーセントしか出せていない状態でした。これを100パーセントにして、新監督にバトンタッチするのが自分の務めだと考えていた。だから、システムも選手の顔ぶれも変えず、トレーニングの内容だけ変えて、選手本来のパフォーマンスを出せるようにしたんです。けれど、2001年もやるとなると話が変わってくる」

 快諾を躊躇させたのは、翌年7月に予定されていたクラブ世界選手権の存在だった。

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