あれから5年。松本山雅・松田直樹ゆかりの店は看板だけが残っていた (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki photo by AFLO

 松田が練習中に倒れ、急性心筋梗塞で逝ったのは2011年8月のことだ。すでに5年以上が経過。なにひとつ、変わらないことはない。当時JFLにいた松本はJ2、J1へ昇格。その後は再びJ2へ降格し、そして昨シーズンは再びJ1昇格に挑んでいた。当時から在籍する選手は、飯田真輝、鐵戸裕史、白井裕人の3人のみになっていた。

「松田が山雅の礎(いしずえ)になっている」

 そんな話をしばしば聞くし、記事でも読んだかもしれない。そのメッセージは彼への敬意だろう。しかし当人はどんな気持ちか。礎として土中に埋められ、じっとしているタイプではなかった。風のように自由に生きるほうが性に合っていた。

 様々なものがうつろっていく。時間の流れは誰にも止められない。松田直樹という名も、やがて風化するのだろうか。

 筆者は松田の人生の格闘を描いたルポ『フットボール・ラブ』を書いたとき、「カレーでランチ→カフェで5時間ぶっ通しで喋る」というのが、ひとつのコースだった。その光景の断片は覚えているが、例えば彼がコーヒー党だったか、コーヒーが苦手だったのか、判然としない。それは昔付き合っていた女の子とのデートの風景と似ているか。記憶の風景は薄まり、やがてぼやける。

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