17歳で日本代表・市川大祐の回顧「初の日韓戦で息苦しさを感じた」 (8ページ目)

  • 望月文夫●取材・構成 text by Mochizuki Fumio
  • 長江由美子●撮影 photo by Nagae Yumiko

――ところが、その2005年シーズン、リーグ戦では全試合に出場して完全復活を遂げました。その要因は、何だったのでしょうか。

「ひとつは、かつて一緒にプレーしていた(長谷川)健太さんが監督に就任したことです。ケガ続きの自分に『おまえの力が必要だ』と言ってくれました。それで、高いモチベーションを維持してシーズンに臨むことができました。

 同時に自分の考え方も変えました。2002年以降は、2006年のW杯出場や海外でプレーするイメージを抱いていたものの、2004年には引退も考えるほど、どん底の状態になっていましたから。そこからは、先を見据えることなく、1日しっかり練習ができたら『1日できたぞ』と、2日練習ができたら『2日もできたじゃないか』と喜んで、それを徐々に延ばしていけばいいんじゃないか、と思うようにしたんです。

 それまではストイックに自分と戦っていたんですが、それからは自分と協力していこうと。自分の体と相談しながら練習し、1日がんばったら、自分の体をいたわり、ほめる。調子がよかった過去の自分を求めるのではなく、今の自分をしっかりと見つめていこうと思ったわけです。その考え方の変化が、2016年シーズンまで現役を継続できた大きな要因のひとつだと思います」

――その後、2011年にヴァンフォーレ甲府に移籍し、J2の水戸ホーリーホック、JFLの藤枝MYFC、地域リーグのFC今治、JFLのヴァンラーレ八戸と渡り歩いてきました。

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