17歳で日本代表・市川大祐の回顧「初の日韓戦で息苦しさを感じた」 (5ページ目)

  • 望月文夫●取材・構成 text by Mochizuki Fumio
  • 長江由美子●撮影 photo by Nagae Yumiko

「そうだったと思います。新しい広報の方も、『自分が右も左もわからない中で、市川の取材対応が大変だよ』と言って、バタバタしていましたから。その後、日本代表での活動も多くなっていきましたが、やっぱり自分は清水の一員としてプレーしているときが一番(精神的に)落ち着きましたね。自分を理解してくれている人が多かったし、何より普通に扱ってくれましたから。

 例えば、日韓戦が終わってホテルに戻ると、クラブの幹部の方からはこんなメッセージが届いていました。『代表デビュー、おめでとう。今日はいいプレーもあったけど、まだまだやらなければいけないことがあるよ』と。その言葉で、自分の立ち位置が再確認できました。普段どおりのアドバイスは、注目度が高くなった自分が勘違いしないように、という配慮もあったと思います。

 当時、サテライト監督だった大木武さんからは、『どんなに騒がれても、おまえがうまくなるわけでも、下手になるわけでもない。おまえはおまえだから』と言ってもらいました。騒がれていることで、僕自身、『いいところを見せなきゃいけない』という部分があったと思いますが、その言葉が、今自分ができることが何かを教えてくれた」

――その後、フランスW杯では候補メンバーとして現地まで同行したものの、残念ながら最終的にはメンバーから外されてしまいました。

「最終メンバーに入れないことは、自分でもわかっていました。現地に行ってからは調子が上がらず、まったくダメでしたから。ところが、(メンバーから)外された途端に動きがよくなって、当時は『あと1週間、メンバー発表は遅かったら......』と思ったんですけど......。今思えば、メンバー外になって調子がよくなったのは、プレッシャーがなくなったからだと思います」

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