J1からJ2、J3、JFLまで渡り歩いた市川大祐が語る「引退秘話」 (7ページ目)

  • 望月文夫●取材・構成 text by Mochizuki Fumio
  • 長江由美子●撮影 photo by Nagae Yumiko

――その気持ちがあったからこそ、どんなカテゴリーでも変わらない姿勢でプレーできたわけですね。

「よく、恵まれた環境とか、恵まれない環境とか、そういう言い方をする人がいます。確かに自分が所属したクラブの中では、清水が設備面では一番整っていました。では、他のクラブでプレーしていた環境が恵まれていないかと言えば、それは違います。

 もちろん、人によって考え方は違うと思いますが、自分の場合はサッカーができることが恵まれた環境です。J1のクラブと比較すれば、J3やJFLのクラブは設備面など整っていないところがあるのは事実です。しかし、サッカーをする環境はあるんですよ。自分はなぜここに来たのか、何をしに来たのか。サッカーをするために来たのならば、できる環境にあるんです。

 ないものを求めてストレスを溜めるのは少し違うし、そういうものを求める状況にないのに求めるのは、自分が見えていない証拠。自分の立ち位置がわかっていないからです。所属先によって設備面の差はありましたが、自分が恵まれない環境にいると思ったことは一度もありませんよ。好きなサッカーはできているわけですから」

――そうした多くの経験を、次の世代にしっかりと伝えてほしいですね。

「幸い自分は、いろいろな経験させていただいて、多くの情報を得ることができました。それをどうするかはその人次第ですが、自分はそれを伝えていくことが使命だと思っています」

(つづく)

■2016年引退特集(1)「静かなレジェンド」永井秀樹>>

■Jリーグ 記事一覧>>

7 / 7

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る