J1からJ2、J3、JFLまで渡り歩いた市川大祐が語る「引退秘話」 (4ページ目)

  • 望月文夫●取材・構成 text by Mochizuki Fumio
  • 長江由美子●撮影 photo by Nagae Yumiko

――ところで、引退のタイミングは、トップレベルで活躍していた頃に思い描いていたものと、何か違いがありましたか。

「現役でバリバリやっていた頃は、いい状況が延々と続くものだと思っていましたから、一瞬たりとも引退のことを考えたことはなかったですね。順調に成績を残していくと、大きな目標や夢がどんどん膨らんでいく。だから、現役生活の終わり方をイメージしたことはありません。ただ振り返ってみると、自分らしいサッカー人生だったなとは思います」

――自分らしいとは、具体的にはどんなことですか。

「1998年の日本代表デビューは、自分にとっても、あまりにも突然で強烈でしたが、もともと自分は地味にコツコツとやるタイプ。ですから、J1の清水エスパルスでプロ選手としてデビューし、その後はJ1のヴァンフォーレ甲府、J2の水戸ホーリーホック、J3の藤枝MYFC、四国リーグのFC今治、JFLの八戸と、さまざまなステージでプレーしてきましたが、どのカテゴリーでプレーしているときでも、常に強い信念を持ってやってこられました。『このカテゴリーなら、誰にも見られていないから、真剣にやらなくてもいい』なんて思ったことなど、一切ないです。試合に勝てば、J1でも、JFLでも、日本代表でも、本当にうれしいし、アシストが決まれば飛び上がってしまうほどの感激です。試合の前は、どこでやっていても同じように緊張しますから。

 グラウンドの善し悪しや、スタンドの観衆の数も、まったく関係ありません。(自分は)常に全力で、強い気持ちで試合に臨むことができるから、ここまで現役を続けられたのだとも思います。自分の立ち位置をしっかりと理解して、それを引退するまで感じられたことが、自分らしいという思いです」

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