永井秀樹「何ひとつ、夢はかなっていない。だから45歳までやれた」 (7ページ目)

  • 会津泰成●文・撮影 text&photo by Aizu Yasunari

 実は、30代後半にも有終の美を飾るチャンスはあった。2006年シーズン、当時地域リーグだったFC琉球を経て、4年ぶり4度目のヴェルディ復帰を果たした。その2年目、36歳で迎えた2007年シーズン、尊敬してやまないラモス監督のもと、試合を変えるポイントゲッターとして貴重な働きを見せ、J1昇格に貢献した。にもかかわらず、同シーズン終了後、ラモス監督が退任し、永井も再び構想外を告げられて、またしても理想的な"引き際"を失った。

「結局、自分の夢なんて、何ひとつかなっていない」と、永井は言う。

 しかし、「だからこそ、45歳まで現役を続けられた」とも。

 プロサッカー選手としての、力の源、原点――。

 永井にとって、それは"怒り"だった。

「子どもの頃も、さまざまな選抜や代表候補に呼ばれても、最終的には『キミは背が低いから、ここから先は難しいね』と言われて選ばれなかった。プロに入ってからも一緒。1993年のJリーグ開幕試合となった、国立競技場でのマリノス戦。日本中が注目した舞台にはいたけど、自分はベンチから見守るだけで、試合には出場できなかった。でも、そういうことがあるたびに、人知れず『今に見てろ!』と思っていた。それが、よかったように思う」

 悔しさを"怒り"に変えて、その後の糧にしてきた。"怒り"は、他人ではなく自分自身に向けて、人一倍の練習と努力を積み重ねてきた。そうやって課題や欠点を克服し、成長してきた。

 そうした日々の繰り返しが、いつの間にか25年という歳月に及び、永井は45歳まで現役を続けてきたのだ。

(つづく)

【profile】
永井秀樹(ながい・ひでき)
1971年1月26日生まれ。大分県出身。明野中→国見高→国士舘大。中学、高校ではともに全国大会で優勝。プロ入り後もチームの中心選手として活躍し、数々の栄冠を獲得した。身長174cm。血液型A。

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