エースの造反。チームの混乱。それでもジュビロがJ1に残留できたわけ (5ページ目)

  • 浅田真樹●構成 text by Asada Masaki
  • 日刊スポーツ/アフロ●写真 photo by Nikkan sports/AFLO

――そんな悪い流れの中で、最終的にJ1残留へと至るターニングポイントは、どこにあったのでしょうか。

「セカンドステージ第13、14節がホーム2連戦で、相手は湘南ベルマーレとアルビレックス新潟。ここで勝ち点4は取りたかったのに、勝ち点1しか取れなかった。あそこで、完全に残留争いに足を突っ込んでしまいました。ところが、幸いなことに日本代表戦(W杯アジア最終予選)があったので、J1は2週分試合がなく、3週間空いたんです。この3週間が大きかったですね」

――その中断期間をどう生かしたのですか。

「まず、最初の2週間ではもう一度選手を奮い立たせるために、言葉は悪いけど、"選手を殺しに"いきました。毎日、走行距離が16~18kmくらいになるハードなトレーニングメニューを組みましたからね。そして、残り1週間で戦術確認のミニキャンプをやりました」

――肉体的にも精神的にも選手たちを追い込んだわけですね。

「どちらかと言えば、精神的なものが大きかったと思います。シーズン終盤、これくらいハードにやっても耐えられる選手でなければ、J1に残留できるかどうかっていう強烈なプレッシャーの中で、残り3試合は絶対に戦えないと思いましたから。これを乗り切った選手が残りの試合を戦う権利を得る、という位置づけですね。フィジカルコーチとは『2、3人壊れる覚悟で、ハードなメニューを組もう』と話していたのですが、全員が最後までついてきてくれました」

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