闘莉王も呆然。グランパス史上初のJ2降格は、やはり「必然」だった (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki YUTAKA/アフロスポーツ●写真

「名古屋の選手として活躍した」というだけで、トップリーグのビッグクラブの監督に就任。どのカテゴリーでも監督としての経験はなかった。基本的な守備原則を作れず、影響力の強い選手を切り捨て、「5人目の動き」という"まやかしの言葉"を用いた。

 小倉本人が最大の戦犯だが、クラブマネジメントも噴飯ものだろう。人事権のあるGMまで小倉に任せ(GM補佐から昇格)、2019年まで契約を結んでいる(現在、小倉は休養中)。「素人」に全てを委ねて残れるほど、J1リーグは甘くなかった。戦略的な失敗が、伝統あるチームを沈没させたのだ。

「最後の2試合(ヴィッセル神戸戦、湘南戦)は、自分たちの弱点をさらけ出しました。それで自信を失った。とりわけディフェンスはやるべきことができなかったのです」

 ジュロヴスキーの率いるチームは奮戦したが、最後は力尽きた。

 湘南戦は、開幕以来、チームとして戦術的に整備できなかったツケが出た。攻守の切り替えがきかず、常に湘南の後手に回る。選手の距離感も悪く、ボールを拾えず、つなげず、相手に圧力もかけられない。前半37分には左サイドを破られ、クロスを高山薫に叩き込まれている。

「攻守の切り替えを早くしよう!」

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