【恩田社長の600日】クラブライセンス制度が
FC岐阜に残したもの

  • 恩田聖敬●文 text by Onda Satoshi


 クラブハウス建設の舞台となったのは、FC岐阜のメイン練習場所である岐阜市の「北西部運動公園」でした。この場所は河川敷に位置しています。よってそこに建物を建てるには、「河川法」「公園法」などのさまざまな法律を守る必要があり、国、県、市それぞれの守備範囲が分かれており、一筋縄ではいかない状況でした。

 最終的には、岐阜市が公園に隣接する民有地を買い上げて、建設用地にあてることで、さまざまな問題をクリアしました。

 また、FC岐阜として建設費の確保にも動きました。ひとつは署名活動と並行した募金活動です。皆様からのお心遣いが200万円以上集まりました。そして、もうひとつは市町村に資金提供をお願いしました。この場面では、私の前任社長である薫田大二郎会長(当時)がすべての段取りを整えてくださり、私は市長会・町村長会の席で頭を下げてお願いするだけでした。これによって、市長会から2000万円、町村長会から1000万円の資金をいただきました。これらの資金は、全額建設主である岐阜市に寄贈しました。

 これにより、2015年9月にクラブ史上初めてのJ1ライセンス交付を受け、2016年無事に新生スタジアムとクラブハウスが稼働しています。ライセンス制度がなければ、これらのことは実現しなかったと思います。

 一方で、ライセンス制度の中身は年々厳しくなっていきます。

 署名活動によって求めた練習環境の改善には、クラブハウス建設の他に「天然芝のグラウンド2面の整備」がありました。現在は天然芝のグラウンドは1面しかなく、芝の状態を良好に保つために十分な養生期間を取るとなると、その期間は別の場所で練習しなければいけません。もちろん、FC岐阜以外の利用者との兼ね合いもあります。こういった問題は、グラウンドを2面用意すれば解決すると思います。

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