【恩田社長の600日】クラブライセンス制度が
FC岐阜に残したもの

  • 恩田聖敬●文 text by Onda Satoshi


 ライセンスどころか、生きることに精一杯だった『FC岐阜』が、2014年にラモス瑠偉監督や川口能活選手を迎えることで、一気に風向きが変わります。毎年、J2の最下位争いをしていたチームが「J1」を目指すという夢を口にしても許される雰囲気となったのです。

 私は千載一遇のチャンスだと思い、一気に「J1ライセンス」までたどり着くことを目指します。ライセンスのために設備面で必要だったのは、ひとつはスタジアムの観戦環境の整備、具体的には個席の増設とトイレの洋式化でした。これに関しては、スタジアム所有者である岐阜県、そして県議会にもご理解をいただいておりました。

 問題はもうひとつの条件であるクラブハウス建設でした。その担い手になるであろう岐阜市は、当初から慎重な姿勢を崩しませんでした。我々は必死でクラブハウスの必要性を伝えました。クラブハウスがないことで、練習後、あの川口選手が車の中で着替えて、スーパー銭湯で汗を流していること、練習後のケアスペースがなくグラウンド脇でマッサージしていること、そんな練習環境を理由に移籍を断る選手も少なくないことなど、とにかく話しました。

 しかしながら、クラブからのアプローチのみで岐阜市が動くことはありませんでした。そこで他クラブが行政を動かした例に倣い、2014年夏から練習環境の整備を求める署名運動を開始しました。プロジェクトを「J1チャレンジ」と銘打ち、FC岐阜、FC岐阜後援会、岐阜県サッカー協会、そしてサポーターの皆様を構成員として、大々的に動きました。

 街頭でのアピールはもちろん、後援会やサッカー協会にお願いして、企業・団体・行政・自治会など、まとまった数の署名を組織で集めることにも力を入れました。地元メディアにもご協力いただき、新聞等でも大きく取り上げられました。

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