2016.09.05

【育将・今西和男】今西-恩田-宮田、
FC岐阜の歴史がつながった瞬間

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko


 場面を恩田と今西の邂逅のシーンに戻そう。ここで恩田の秘書は「今西さんに恩田は自分の言葉で話したいと言って準備してきました」と告げる。恩田はすでに自身で言葉を発せられない。肉声を失う前に吹き込んでおいたiPadの声が楽屋にこだました。

「はじめまして恩田聖敬です。今日はお会いできて光栄です。今西さんのことは多くの人から聞き及んでおりました」というあいさつから始まった。

「私は今西さんのあとにFC岐阜の社長に就任して、がんばって参りましたが、ALSという病になり、退任せざるを得なくなってしまいました。そのことをまずお詫びしたいと思います」

 この光景を見て、歴史がつながった思いがした。イベントでは多くのサポーターが今西を取り囲んだ。4年経っても、その恩を忘れない人たちが数多く駆けつけて来たのだ。今西に対して申し訳ないという思いを語り、涙ぐんでいる人もいた。粉骨砕身しながら、解任され、よい思い出ではなかった岐阜に対して最後に今西はこんな言葉を発した。

「もう岐阜に来ることはないだろうと思っていましたが、今日また来たいと思う気持ちになりました」

 さらに鼎談の終了後、ロビーでは私の前にひとりの紳士が立った。拙著を手にされて挨拶された言葉に驚いた。

「宮田博之です」

 現FC岐阜の宮田博之社長であった。古田知事の高校時代の同級生ということで、今季から社長に就任された人物もまた、今西に会いに会場に足を運んでいたのである。就任の経緯からすれば、県庁に対する批判も忖度(そんたく)なく記してある拙著のイベントに来られるとは思ってもいなかった。実際、県庁からは「あの会には行くな」というストップの声があったとも後から聞いた。