【恩田社長の600日】特別寄稿「解任されたラモス監督の功罪」 (3ページ目)

  • 恩田聖敬●文 text by Onda Satoshi  photo by AFLO

 しかし、私はバカ社長ではありません。新体制発表に監督が同席すべきなのは、誰の目にも明らかです。私は広報に監督のスケジュールを確認して、同席してもらうように指示し、その結果スケジュール調整がつかず、監督には別途記者会見を開いてもらう形で話をしたと報告を受けています。監督はそれでよいと言っているということも確認していました。

 だが、当日ふたを開けたら監督に予定はなく、監督は「誘われなかった」と言い出して、監督の周りは話を膨らましてまくし立て、それをメディアは現場と我々の確執として取り上げました。何が起きていたのか、今となってはわかりません。もちろん、スケジュール調整が後手に回ったことは私の落ち度ですが、事実が捻じ曲げられ、情報が独り歩きしていくことに恐怖を感じました。

 この騒動を通して学んだことがあります。それは声の大きい方が一方的に情報を形成することがあるということ、そして、ラモス氏の周りには、監督として所属するクラブを貶(おとし)めてでも、ラモス氏の立場を高め、利用しようとする動きがあるということです。

 この時点で、一部の関係者にとっては、FC岐阜ではなくFCラモスとなっていることを、肌で感じた出来事でした。不本意でしたが、それが現実でした。

 話をチームに戻します。

 ラモス氏が来て以来、FC岐阜の現場への待遇は確実に変わりました。ラモス氏は選手に「プロ意識」を持つことを求め、同時にクラブには選手をプロとして扱うことを求めました。その結果、遠征の交通手段・ホテルのグレード・練習用具などを改善し、芝のコンディションまでこだわるようになりました。今まで岐阜にはなかったプロの視点を学ぶ貴重な機会となったのは間違いなかったです。しかし、この状況において勘違いをする選手が現れます。「監督の許可は得てます」が、すべての免罪符になると考える選手が。

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