【恩田社長の600日】特別寄稿「解任されたラモス監督の功罪」 (2ページ目)

  • 恩田聖敬●文 text by Onda Satoshi  photo by AFLO

 私がJトラストから来た旨を伝え挨拶すると、ラモス氏は「藤澤さんから話は聞いています。ぎふのために一緒に頑張りましょう!」と丁寧かつ力強い挨拶を返してくれました。藤澤さんというのは、FC岐阜の現筆頭株主である藤澤信義氏のことです。ラモス氏の招聘も私の社長就任も、藤澤氏の声掛けによって実現したものです。「ぎふのために」を合言葉にした、2人の共進共闘がスタートしました。

 ラモス氏との仕事が始まり、最初に凄いと思ったのは、彼の「魅せる技術の高さ」でした。常に自分がどう見られているのかを把握して、周りが欲しがる言動をすることで、どんな人の心も掴んでいきます。試合後の監督会見も、就任当初は思慮深く話しており、頭のいい人だという印象を持っていました。

 しかし、周りからの見られ方を意識しているが故に、僅かでも自分が尊重されてないと人前で感じたときには、大きな拒否反応を示し、「報告はいらない。相談なら聞く」と言って、譲らないのでした。そんなこともあって、重要な案件は私とラモス氏の1対1で話すようにしました。1対1で話すとき、もちろん言いたいことは相変わらず言いますが、こちらからの話をないがしろにされることはありませんでした。

 そんな形で、いろいろありましたがチームとしては残留争いをすることもなく、比較的平和に2014年シーズンを終えることができました。しかし、社長としても監督としても真価が問われる2015年シーズンを迎えると、お互いプレッシャーからか余裕をなくし、その結果、さまざまな綻びが生じます。

 そのひとつが、2015年の新体制発表でした。監督はこの場に出席しておらず、関係者の中では、私があえてラモス氏を同席させなかったということになっており、多くの方々から「社長の立場を示したいのはわかるけど、もう少し監督を立ててあげたら」というような苦言をいただきました。

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