ポーランド移籍も封印。豊田陽平「だから鳥栖はやめられない」 (4ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by AFLO

「書面はポーランド語だったので、分からないことばっかりでした。でも、手取りの年俸も記してあって、具体的なオファーでしたね。森岡とか日本人選 手が結果を出していることで、興味を示してくれたんでしょう。関係者に聞くと、かなり本気の金額で(クラブ規模を考えれば)好条件を提示してくれたようで す。30歳を過ぎた選手にはなかなか来ない話なので、ありがたいですよね」

 実はフェリックス・マガトが鳥栖の監督候補として来日していたときも、豊田はその実力を激賞されていた。

「プレー集の映像を見たわけではなく、いいところも悪いところもつまった試合ビデオを観た。君はドイツ、ブンデスリーガでも十分に活躍できるだろう」

 その言葉は少なからず自信になった。リップサービスがあるにしても、欧州でタイトルを取った名将の言葉には、熱がこもっている気がした。

 豊田は海外でプレーする志を忘れたことはない。現実的なイメージとしては、ブラジルW杯前後からだっただろうか。事実、その道も積極的に探ってきたが、「30歳になるまで」と一つのメドにしていたこともあって、どこかで諦めかけていた。

 それが今になって実績が欧州関係者の目に止まり、ポーランドのクラブからの契約打診にもつながったわけだ。

「日 本代表でウルグアイのセンターバック、ゴディンとマッチアップしたとき、"これは違うな"というのを体感しました。間合いというか、駆け引きというか。そ ういうのは経験して慣れていかないと、どうにもならない。でも、海外でそういう世界に飛び込んで、"こういうときはこうくる"というプレーを身につけて いったら、"自分はどうなるのかな"というのに興味が湧きました」

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