甲斐修侍と歩んだフットサルの歴史「教科書も何もなかった」 (5ページ目)

  • 河合拓●取材・文 text by Kawai Taku
  • 高須力●撮影 photo by Takasu Tsutomu

 それと当時はまだ、そこまでフットサルが普及しておらず、代表活動を行なう体制も整備されていませんでしたからね。今でこそ、年に何回か海外遠征を行なうなど年間の活動予定がしっかり組まれたり、優秀なフットサル専門の外国人監督を招いたりしていますが、当時はスタッフを含めて代表活動が充実・整備されている今とは、まったく違う状況だったから。

 チーム内で「日本代表メンバーvsそれ以外のメンバー」で戦っても決して負けていな かったから、自分はいつ呼ばれてもそのレベルで戦えると思えていたし、それがあったから(選出されなかったことを)やり過ごせていたように思います。ファ ン・サポーターに「どうして代表に選ばれないのですか?」と聞かれるのは申し訳なかったけれど、自分のなかではいつ呼ばれてもやれる自信があったし、そこ まで気にしていなかったのが本音です。ここでは言えませんが、当時の代表選考について、しがらみ等々もありましたからね(苦笑)。

 当時はフットサルがこれだけ大きくなっていくなんて想像もつかなかったし、道筋も見えていませんでした。「フットサルで飯が食える」なんていう状態でもなかっ た。でも、活動を継続していくなかで、いろんなスポンサーさんがチームを支えてくださり、俺個人としては2004年から現在もお世話になっているギャラ リー2さんに専属契約選手としても契約してもらいました。そうやってスポンサードしていただいているおかげで、ここまでやってくることができました。

「ど うしてフットサルを続けられたか?」というと、やっぱり本当に、純粋に、フットサルの魅力に取り憑かれていたんでしょうね。そして今では、Fリーグという 基盤ができて、地域の人たちからの応援のおかげで事業として成り立つところまできた。それは、フットサルという競技が魅力的だからだと思います。

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