甲斐修侍と歩んだフットサルの歴史「教科書も何もなかった」 (3ページ目)

  • 河合拓●取材・文 text by Kawai Taku
  • 高須力●撮影 photo by Takasu Tsutomu

 そのスーパーリーグのなかでも、カスカヴェウは異彩を放った。苦労して手に入れたブラジルのフットサルの映像から規則性を見出し、それらから練習メニューを組み立て、同時に個人のフィジカルや技術のレベルアップも怠らなかった。当時、日本ではほとんど皆無だった「フットサルを見せるチーム」の評判 はクチコミで広がり、大きな注目を集める存在となっていく――。

 1999年に「カスカヴェウ」を結成しましたが、当時は年に一度の全日本選手権しか「真剣勝負の場」がありませんでした。1年のほとんどのシーズンでしのぎ合うことができないのは、あまりにも物足りなかったんです。これではフットサルが向上しないな、と思っていました。

  そこで、志を持ったチームで集まって始めたのが「スーパーリーグ」です。でも、俺としては、スーパーリーグをあそこまでショーアップするつもりはなかった んです。俺のイメージでは、コートを2時間くらい借り上げて、2~3チームが集まって試合をする。それを記録していき、年間を通じて切磋琢磨するシーズンを過ごす。そして最後は、全日本選手権でガチに戦う形になればいいかなと思っていました。でも、最終的には告知して、観客を集めて、イベント的にやるようになったんです。

 関東リーグができたことでスーパーリーグは3年で終わりましたが、結果的には未来につながったと思います。当時のフットサル界の道徳観といったら、とんでもなかったから(笑)。更衣室がある体育館でも普通に客席で着替えたり、スタンドで物を食べたり、試合が終わって集まっ てタバコを吸っていたりしていた。それが、お客さんが入るようになって、選手たちが見られる意識を持つようになって、そうしたことがなくなっていったから ね。

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