フットサル界のレジェンド。甲斐修侍が「引退を決めた理由」を語る (5ページ目)

  • 河合拓●取材・文 text by Kawai Taku
  • 高須力●撮影 photo by Takasu Tsutomu

 ただ、ベースが上がっている一方で、特徴のある選手が減ってきている。「アイツを見に行けば、こういうプレーをするぞ」とか、「何かやってくれるぞ」という、お客さんを喜ばせる選手はFリーグの全クラブを見渡しても減ってきている気がします。

 もちろん監督からすれば、地味でも、すごく堅実にやっている選手のほうが使いやすいでしょうし、一番計算できると思います。でも、Fリーグは「見に来てもらうリーグ」ですから。そういう個性のある選手を育成することが、今後の課題かなと個人的には感じています。

 現役選手として最後の1年は、チーム全体のこと、若手のことを考えつつ、いかにチームが勝っていくために貢献できるかということも、自分の役割のひとつです。逆に、「44歳で最後の1年」と言っている俺が鼻息の荒さを見せて、「絶対にメンバーに入ってやる」という想いを色濃く見せることも、若い子に何かしら伝わると思います。

 もし、自分がメンバーから外れてプレーできない状況になっても、練習後の片づけをしたり、ピッチ外のことを率先してやる。そういうことも、監督の岡ちゃん(岡山孝介)からベテランのあり方を求められてて、チームの方向性を示すためにやらないといけない。選手としてやる以上は、チーム内のしのぎ合いを本当に色濃くやっていかねばと思っています。

(後編に続く)

【profile】
甲斐修侍(かい・しゅうじ)
1972年3月22日生まれ、宮崎県出身。ペスカドーラ町田所属の選手兼クラブ代表。小学3年のときに大阪の高槻松原FCでサッカーを始め、第7回全日本少年サッカー大会で全国3位。中学2年時にはJr.ユース日本代表に選出。阿武野高校から関西社会人1部リーグ東大阪FCを経て、京都のKYOKEN FC所属。京都府の国体選手として愛知県で開催された「わかしゃち国体」で優勝。25歳のときに山梨県で伝説のフットサルチーム「AZUL(アズー)」を結成し、第3回全日本フットサル選手権で準優勝する。その後、神奈川の「エスポルチ藤沢」を経て、1999年にペスカドーラ町田の前身となる「CASCAVEL(カスカヴェウ)」を設立。2001年には日本人初のプロ選手としてブラジルでプレーするなど、黎明期からフットサル界を牽引するカリスマ。168cm・64kg。

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