【恩田社長の600日】ラモス、川口、三都主が岐阜にやってきた (4ページ目)

  • 恩田聖敬●文 text by Onda Satoshi

 私はいつも「寂しい気持ちはわかります。しかし、FC岐阜がより多くの方々に応援してもらうことは、あなたの望みでもあったはずです。クラブの思いも同じです。一緒にこのチャンスを使って、FC岐阜を思う同志を増やしましょう」と呼びかけました。

「本音と建前」「関係者同士の思いのすれ違い」「激変したFC岐阜の注目度」。危うさを多分に含みながら、新生FC岐阜は始動しました。

 ちなみに監督ら3人の獲得と後援会組織編成には、私は一切関わっておらず、社長をやる上での前提条件のひとつでした。

(つづく)


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【profile】
恩田聖敬(おんだ・さとし)

1978年5月10日、岐阜県生まれ。岐阜北高―京都大―京都大大学院を修了し、2004年にネクストジャパン入社。ゲームセンター店長など、アミューズメント、エンターテインメント系の仕事に従事し、キャリアを積む。2012年、ネクストジャパンホールディングスがJトラストに吸収合併されて、同社に移る。2014年から岐阜フットボールクラブ代表取締役社長に就任。2015年1月、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) の発症を公表し、2015年11月、社長退任を発表した。先日、クラウドファンディングによる新規事業を展開していくことを発表。

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