【恩田社長の600日】ラモス、川口、三都主が岐阜にやってきた (2ページ目)

  • 恩田聖敬●文 text by Onda Satoshi

 また、時を同じくして、ラモス瑠偉監督招聘、川口能活選手・三都主アレサンドロ選手加入のニュースがメディアに大きく取り上げられ、岐阜県中がざわざわしていました。FC岐阜のことが全国で取り上げられ、滅多に会えない著名人の岐阜入りに、県民の心は完全に浮き足立っていたのです。誰もがFC岐阜に注目していました。

 その状況を千載一遇のチャンスと見た古田肇(はじめ)岐阜県知事が中心となり、藤澤の要望に応えるべく、FC岐阜後援会組織の大改革が行なわれました。それまでの後援会は、FC岐阜の社長が後援会の会長を兼務するという、自分で自分を後援するという、まったく不可思議な状況でした。引き受け手がいなかったのです。好き好んで火中の栗を拾う人はいませんでした。悲しいかな、ごく一部の方を除いて、岐阜県のみなさまにFC岐阜の価値は伝わっていませんでした。

 2012年もそうでした。FC岐阜が資金繰りに窮し、行政と経済界が協議した結果、クラブを存続させるために、県内企業で1億5000万円の緊急支援をすることになりました。この際、岐阜地域で1億円、西濃地域で5000万円と割り当てられました。岐阜地域は、商工会議所会頭企業である十六銀行の役員・支店長クラスが、企業を駆けずり回って、不平不満を言われながらようやく集めたそうです。それに対して、西濃地域は岐阜がやるならと動き、企業ごとの割り当てが決まり、5000万円を集めたと聞いています。いずれにしても、みんながやるなら、お付き合いしますというスタンスでした。

 古田知事は、岐阜経済界の重鎮である岐阜車体工業の星野鉃夫会長を口説き落とし、後援会会長を引き受けてもらい、新組織には知事や岐阜市長、また、岐阜県内優良企業の社長、各地域の商工会議所の会頭、市町村会の会長、各種経済団体の会長、サッカー協会、体育協会......まさしく「オールぎふ」のメンバーが集まりました。

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