【育将・今西和男】片野坂知宏「最初の言葉は『感謝をしなさい』でした」 (5ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  photo by Kyodo News

 やがて片野坂と言えば、大胆不敵なオーバーラップと相手陣形が整う前に放り込む速いクロスが代名詞になっていくが、どのように判断して攻撃参加をしていったのか。

「それは予測してのアクションです。まず見るのは味方がどのようにボールを持っているのか、そして、相手のディフェンス陣が自分のマークをどのようにしているか。対峙する敵の右サイドバックはもちろんですが、その奥の選手のポジショニングも確認して、パスが来たらどこにスペースができるか、二手三手先を読んで動いていました。あの頃はまだ20歳そこそこで自分のことで精一杯でしたけど、チームを勝たせるためには何ができるか、それを徹底的に考えていました」

 1993年はJリーグ開幕イヤーであると同時に、マツダSC東洋からコツコツと努力を続けてきた片野坂の萌芽の年でもあった。

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【profile】
今西和男(いまにし・かずお)
1941年1月12日、広島県生まれ。舟入高―東京教育大(現筑波大)-東洋工業でプレー。Jリーグ創設時、地元・広島にチームを立ち上げるために尽力。サンフレッチェ広島発足時に、取締役強化部長兼・総監督に就任した。その経験を生かして、大分トリニティ、愛媛FC、FC岐阜などではアドバイザーとして、クラブの立ち上げ、Jリーグ昇格に貢献した。1994年、JFAに新設された強化委員会の副委員長に就任し、W杯初出場という結果を出した。2005年から現在まで、吉備国際大学教授、同校サッカー部総監督を務める。

片野坂知宏(かたのさか・ともひろ)
1971年4月18日、鹿児島県生まれ。鹿児島実業高から、1990年マツダSCに入団。マツダSC東洋を経て、サンフレッチェ広島に発足時から加入し、サイドバックとして活躍。1994年の第1ステージ優勝にも貢献した。1995年柏レイソルに移籍。大分トリニータ-ガンバ大阪-ベガルタ仙台-大分トリニータとチームを変わり、2003年現役引退した。引退後は大分トリニータのスタッフとなり、スカウトなども経験。その後、指導者として大分Uー15コーチ、ガンバ大阪コーチ(サテライト監督を兼任)、サンフレッチェ広島コーチ、再びガンバに戻ってヘッドコーチに。今年より、J3大分トリニータ監督に就任。

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