【育将・今西和男】片野坂知宏「最初の言葉は『感謝をしなさい』でした」 (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  photo by Kyodo News

 1993年、マツダがプロ化しサンフレッチェ広島になると、満を持していたかのように入団3年目を迎えた片野坂もトップチームのレギュラーに上り詰めていく。監督スチュワート・バクスターはさかんに「ディシプリン(規律)」という言葉を使ったが、その決め事の中で片野坂は左SBとしての動きを徹底的に仕込まれた。特にサイドでプレッシャーをかけられたときに、ノールックのように素早く叩(はた)くプレー(=ワンタッチフリック)の出し方は繰り返し教わった。

 そのスキルがJリーグ開幕の初陣で見事に花開いた。同年5月16日、日本プロサッカーリーグの第1節サンフレッチェ対ジェフの前半開始1分であった。サンフレッチェのFKから前に運ばれたボールが左サイドで詰まって一度、中盤まで戻されてきた。

「バックパスか……」。いったんトラップして組み立て直すと誰もが考えて、弛緩した空気がピッチ上を流れた。しかし、このボールを受けた片野坂は神経を研ぎ澄まし、次の瞬間に抜群のアイデアを発揮した。ダイレクトでペナルティエリアに絶妙のアーリークロスを入れたのである。ただひとり感じていたのは、ボランチの風間八宏だった。2列目から脱兎のごとく走り込み、DF2人の間を食い破って、見事なボレーシュートを叩き込んだ。

 Jリーグにおける日本人による記念すべき初ゴールを記録したのは風間であるが、この得点をアシストしたのが、左サイドから相手の急所を突いた片野坂であった。弱冠22歳の若手とドイツで揉まれて帰国した32歳のベテランとの意志が自然にシンクロしていた。両者ともに今西のリクルートによって入団した選手であるが、これはまさに当時のサンフレッチェの組織としての強さを象徴する得点シーンであった。

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