【育将・今西和男】小林伸二「明日から広島ユースの監督をやれ、と言われて」 (2ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko

 小林はこうしてこの後、多くのタレントを輩出することになるサンフレッチェユースの初代監督に就任して、指揮官としてのキャリアをスタートさせる。まず考えたのは接し方である。相手は成人する前の高校生、当然ながらトップチームのように上から押さえつけるような語り口では、絶対に選手は寄ってこない。

「スポーツとしてのサッカーを楽しませながら、上手くなっていくように指導すること。それとある部分では、まだ子どもですから、厳しく教えることも重要。面接するときも高校生ですから、きちんと話せる子も話せない子も両方いるんです。そういうときも例えば、正対せずに横に座って話しかけるとか、『昨日の試合は自分で採点すると何点くらいだと思う?』とか、具体的に質問してあげると話が膨らむんですよ。これもまた、今西さんの紹介で始めたメンタルトレーニングで学んだことであるんですが」

 Jリーグブームとも相まって、多くの中学生が県外からも入団セレクションに訪れ、15人が評価を受けて入団した。こうしてユースチームは立ち上がったが、寮をすぐに建てるわけにもいかず、施設面はまだ追いついていなかった。小林と今西はグラウンド(吉田運動公園)のある吉田町(現・安芸高田市)の役場を訪問し、協力を約束してくれた企画室課長とともにユースの選手たちを受け入れ、住まわせてくれるところを探した。小林もまた腹をくくって、家族とともに広島市内から吉田町に引っ越した。そして、小林はマイクロバスの必要性を訴えた。

「他のチームとどんどん試合しないと強化にならないですが、うちはまだ出来たばかりで、どこも吉田町までは来てくれないですよ。こちらから出向くためにもバスを何とかなりませんかね」

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