【育将・今西和男】上野展裕「広島OBの指導者が活躍している理由」 (5ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  photo by AFLO

 今西がサンフレッチェを退団した若い選手を誰ひとりとして路頭に迷わせなかったのは、多くのJリーグ関係者の知るところでもある。上野もまたレノファで契約継続に至らなかった選手の次の人生のことを気にかけている。

「今西さんはよくX軸とY軸の話をしてくれました。Xが理論でYが感情じゃ、わしはYに傾く傾向があるんじゃと。あと『チャーリー君(上野は自転車で練習場に通っていたので、チャリンコからチャーリー君と呼ばれていた)、これ読んでおけ』と言われて小学校の同窓会の会報を渡されたことがあります。読んだら、ご自身が原爆で負ったケロイドのことを書かれていたんです。4歳で足に大やけどを負って、水泳なんかするときはそれがすごく恥ずかしかった。でも今は何ともなくなったと。人は誰でもコンプレックスがあるが、それに打ち克つことが大事なんだということを教えてくださったのかなと思います。僕は今西さんが無名の選手を登用して、チームと一緒に成長させるのを見ていましたから。うちだと岸田(和人)なんかがそうですね」

 今のサンフレッチェ広島出身の指導者が活躍しているのは、ルーツがしっかりとあるからだと言う。

「ヴィッセル神戸の安達社長がおっしゃっていたんですが、『英語が出来るしっかりとした指導者を探すと、いつも広島出身者に行き当たるんだ』と。その扇の要にいたのが今西さんだと思います」


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【profile】
今西和男(いまにし・かずお)
1941年1月12日、広島県生まれ。舟入高―東京教育大(現筑波大)-東洋工業でプレー。Jリーグ創設時、地元・広島にチームを立ち上げるために尽力。サンフレッチェ広島発足時に、取締役強化部長兼・総監督に就任した。その経験を生かして、大分トリニティ、愛媛FC、FC岐阜などではアドバイザーとして、クラブの立ち上げ、Jリーグ昇格に貢献した。1994年、JFAに新設された強化委員会の副委員長に就任し、W杯初出場という結果を出した。2005年から現在まで、吉備国際大学教授、 同校サッカー部総監督を務める

上野展裕(うえの・のぶひろ)
1965年8月26日、滋賀県生まれ。膳所高、早稲田大を経て、1988年にJSL1部全日空サ ッカークラブに入団。1991年、マツダSC(現サンフレッチェ広島)に移籍。1994年、現役 を引退。その後は、サンフレッチェ広島でトップチーム、ユース、ジュニアユースの指導 者を歴任。教え子には槙野智章(浦和)や森重真人(FC東京)らがいる。2005年からは京 都で育成部門統括責任者、ヘッドコーチの職に就き、チームを支えた。2009年からツエー ゲン金沢、2012年からアルビレックス新潟ユース監督。2012年、一時的にトップチームの ヘッドコーチとして監督代行も務めた。2014年レノファ山口の監督に就任に、現在に至る

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