【育将・今西和男】上野展裕「広島OBの指導者が活躍している理由」

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  photo by AFLO

 謙虚な上野であるから、間違っても「私が育てました」というような発言はしない。それよりも森重の中学生時代のプレーの記憶を辿りながら、手を離れた現在もその選手としての状態を思いやる言葉が自然に出てくるのだ。

 他にも思い出深い選手として石田聖雄(まさお)の名前を挙げた。槙野、森重と同期であるが、高校に上がる直前に父親を亡くした。経済的にも苦しい中、サッカーを続けたいという意思を聞いて山口県の多々良学園にセレクションに連れて行った。練習の前に少し時間があった。

「聖雄、あそこにお宮があるから、神頼みやないけど、ちょっとお参りしてから行こうか」

 グランドの近くにあった神社に2人で参拝してから練習に向かった。監督が「今、到着されたんですか?」と言うので「いえ、そこの天満宮にお参りしてから来ました」と答えた。すると意外な言葉が返ってきた。

「では、もう練習を見る必要はありません。願をかけてまで来られるほどに真剣な気持ちでおられるのなら、石田君はうちで取ります」

 あっさりと入学が決まった。石田は多々良学園で3年を過ごした後、日本工学院F・マリノス、ザスパ草津などを経て、くしくも2013年にレノファ山口に入団している。1年で退団したため上野とはすれ違いであったが、山口のクラブに2人が入団したのも、あの多々良学園の横の神社の願掛けの縁ではないだろうか。

 カテゴリーを昇格したクラブはその都度大きな葛藤に揺れる。次シーズンからはより高いレベルでの戦いを強いられるために、苦楽を共にしてきた選手たちを大量に放出して入れ替えなければならないのだ。J2にスピード昇格させた上野も指揮官としてまさにその葛藤の渦中にいる。

「契約については悩みますね。強化の上では去年も半分の選手がいなくなりましたし、今年もそのくらいの血の入れ替えを迫られます。退団した選手も功労者ですから、ケアを十分にしてあげたいのですが、時間が限られていて出来かねているところもあります。今思うと、今西さんはこういう状況のときもよくやっておられたなと思います」

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