鹿島アントラーズ、ユース年代初の勲章で「常勝軍団」へ盤石の体制 (2ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • 佐藤博之●撮影 photo by Sato Hiroyuki

 鹿島ユースを率いる熊谷浩二監督は「縦の関係」を要因に挙げ、こう語る。

「ジュニア(小学生)、ジュニアユース(中学生)、ユース(高校生)、トップの連携がスムーズになっている。これがスタンダードではあるのだが、今まではうまくいかないところがあった」

 実際、熊谷監督が指導するユースチームで言えば、トップチームと練習試合をしたり、ユースの選手がトップの練習に参加したりといったことが、頻繁に行なわれるようになったという。

 そこには熊谷監督の存在も大きく影響していると、長らく鹿島の強化を担当してきた鈴木満常務取締役強化部長は話す。

「(トニーニョ・)セレーゾとクマ(熊谷監督)は監督と選手の関係だったので(※今季途中までトップチームを率いていたトニーニョ・セレーゾ前監督は、熊谷監督が現役時代にも監督を務めていた)、ふたりは『練習試合でもやろうか』という話ができる。(トップとユースの監督が)セレーゾとクマになって、関係が強くなった」

 また、鈴木強化部長は「つくばに(アカデミーの)拠点ができたのが大きい」と語る。

 鹿島は2011年、従来の鹿島、日立に加え、3つ目のアカデミーの拠点をつくばに構え、合わせてジュニアユース以下のチームも同所に新設した。つくばは「交通の便がいい」(鈴木強化部長)こともあり、有望な選手獲得のための重要な役割を果たすようになった。ジュニアユース段階で茨城県内全域から広く選手を集められるようになったことが、ユースチームの強化にもつながったというわけだ。

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