【育将・今西和男】松田浩「本当はサッカーより、海が好きな人」 (2ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko   photo by AFLO

 手応えどおりにサンフレッチェは1994年の1stステージで優勝を飾る。

 松田にとって、バクスターは戦術のみならず、メンタルマネージメントでも大きな影響を与えてくれた。1993年に一時不調に陥り、9節から5連敗が続いたことがあった。次の試合で負ければ「バクスターは更迭」というような新聞辞令が踊った。「こんないい監督を俺らのせいで辞めさせるわけには絶対にいかない」と松田たち選手はナーバスになっていた。

 しかし、当のバクスターはそれを見透かすように試合前に「お前らがどれだけよい試合をやったって負けるときもある。逆に酷い内容でも勝つときはある。勝敗は、選手がコントロールできないところで決まることがある。だから、結果に対してお前らがプレッシャーを感じることはない。そこは俺が取るべき責任で、お前らはディシプリン(規律)を持って、ハードワークすることだけに集中しろ」としれっと言い放った。これで一気に肩の力が抜けた。雨中であったが、松田はラインコントロールを完璧に指揮して、名古屋グランパスに2対0で勝利した。

 このときのバクスターの振る舞いは、後に松田がアビスパやヴィッセルで監督となり、昇格などをかけた一戦を前に、選手に対して声をかける際の大きな原点となった。

「今西さんには自分のサッカー人生において、本当にいい監督につかせてもらったという思いがありますが、もうひとつすごく大きく感謝していることがあります」

 1989年、プロになる前のマツダサッカー部の頃に香港遠征をしたときのことだ。練習試合を順調に消化し、いよいよ明日帰国という日の晩であった。ホテルで打ち上げが行なわれ、ひととおりの宴が終わり、松田が一人で自室にいたときだった。ノックの音がした。ドアを開けると今西が立っていた。

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