【育将・今西和男】松田浩「本当はサッカーより、海が好きな人」

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko   photo by AFLO

『育将・今西和男』 連載第16回
門徒たちが語る師の教え ナショナルトレセンコーチ 松田 浩(3)

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関西を拠点に、現在はナショナルトレセンコーチを務める松田浩関西を拠点に、現在はナショナルトレセンコーチを務める松田浩 サンフレッチェ広島のコーチではなくプレーヤーとして、Jリーグ開幕を迎えた松田浩は2年目になると大きな手応えを感じていた。バクスター監督のサッカーは前線、中盤のプレスが効果的に連動していて、フィルターで濾過(ろか)するように相手の攻撃を封じ込めるので、最後のDFはボールを奪い取るだけだった。「守備は安定している。ここに高木(琢也)のパートナーとなる点取り屋がいれば、必ず勝てる」と考えていた。

 そこにイワン・ハシェックという大物外国人の加入が決まり、最後のピースが埋まった感覚があったのだ。1989年のチェコスロバキアの非暴力民主化運動「ビロード革命」の際、100万人で埋まったヴァーツラフ広場で「この革命を我々サッカー代表チームも支持する」とスピーチしたチェコ代表キャプテンは、リーグ戦32試合で19ゴールを挙げて、期待に違わぬ活躍を見せた。

 筑波大で1年後輩にあたる風間八宏の変貌にも目を見張る思いだった。

「あいつのリーダーシップも大きかったです。大学時代の八宏はテクニックがすごくて、もう狂ったように上手かったから、3人くらいに囲まれてもゴリゴリ突破していった。それがドイツで揉まれて帰ってきたら、ほとんどドリブルをせずに1タッチか、2タッチではたくプレーになっていた。バクスターがやろうとしているチームに必要なものを率先して注入してくれた。学生時代の生活とは比べものにならないくらいに、すごくストイックになっていた」

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