【育将・今西和男】松田浩「ディフェンスが、こんなにもおもしろいとは」 (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko   photo by AFLO

 プレッシャーゾーンに入ると佐藤康之、柳本啓成のCBがラインを一気に押し上げ、森保一、風間八宏のボランチが挟み込み、サイドからは、盧廷潤(ノ・ジュンユン)やパベル・チェルニーがフォローしてセカンドボールを拾いまくる。加茂のそれとどちらが合理的かは明確で「フリューゲルスのプレスが来たときは、両サイドに張っているヤツにまず蹴って渡せ」が当時の決まりごとになっていた。そうすると外は必ずフリーだった。中途半端にドリブルで突っかかると網にはまるが、シンプルに外に出せば、おもしろいように試合を支配出来る。同じゾーンで守っているからこそ、相手の粗(あら)が手に取るように分かった。

 サンフレッチェはフリューゲルスに絶対的な自信を持ち、1993年から94年にかけて、広島はこのカードで6勝2敗という勝率を誇っている。それでも当時のサッカージャーナリズムの取材は関東中心で、加茂とバクスターのこの力関係を分析するメディアは最後まで現れなかった。後に日本サッカー協会の強化委員になった今西が、早々に加茂代表監督の更迭を進言したのも、すでにその実力をフリューゲルス指揮官の時代から見切っていたからとも言えよう。


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【profile】
今西和男(いまにし・かずお)
1941年1月12日、広島県生まれ。舟入高―東京教育大(現筑波大)-東洋工業でプレー。Jリーグ創設時、地元・広島にチームを立ち上げるために尽力。サンフレッチェ広島発足時に、取締役強化部長兼・総監督に就任した。その経験を生かして、大分トリニティ、愛媛FC、FC岐阜などではアドバイザーとして、クラブの立ち上げ、Jリーグ昇格に貢献した。1994年、JFAに新設された強化委員会の副委員長に就任し、W杯初出場という結果を出した。2005年から現在まで、吉備国際大学教授、 同校サッカー部総監督を務める

松田 浩(まつだ・ひろし)
1960年9月2日、長崎県生まれ。長崎北高、筑波大を経て、1984年マツダに入団。1993年Jリーグが開幕し、サンフレッチェ広島でプレー。1994年1stステージ優勝を経験した。1995年ヴィッセル神戸に移籍し、1996年現役を引退。2002年ヴィッセル神戸のコーチ時に、川勝良一監督がシーズン途中に解任されて後任に。チームを立て直して、J1残留を決めた。その後、アビスパ福岡、ヴィッセル神戸、栃木SCで指揮を執った。現在は日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチを務めている

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