【育将・今西和男】風間八宏「骨身を惜しまず、信頼関係を築いてきた人」

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  織田桂子●写真 photo by Oda Keiko

 現在指揮を執る川崎フロンターレのクラブハウスで、風間は今西のチームマネージメントをこう振り返った。

「ただの強化部長と違って、親会社からサッカー協会に至るまで、あらゆることに精通してすべてを網羅していましたね。後に僕が協会に行ったりして、チームと両方やることの大変さが改めて分かったりしました。どこに対しても骨身を惜しまず、信頼関係をしっかりと作ってこられた。今西さんのすごさはそれに尽きると思いますよ」

 今西の母堂が亡くなったとき、風間の母親は風間と一緒に葬儀に参列している。女手ひとつで男兄弟を育てあげてくれた母親は「あなたをここまでちゃんとさせてくれたのは、今西さんだから」と風間に語ったという。


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【profile】
今西和男(いまにし・かずお)
1941年1月12日、広島県生まれ。舟入高―東京教育大(現筑波大)-東洋工業でプレー。Jリーグ創設時、地元・広島にチームを立ち上げるために尽力。サンフレッチェ広島発足時に、取締役強化部長兼・総監督に就任した。その経験を生かして、大分トリニティ、愛媛FC、FC岐阜などではアドバイザーとして、クラブの立ち上げ、Jリーグ昇格に貢献した。1994年、JFAに新設された強化委員会の副委員長に就任し、W杯初出場という結果を出した。2005年から現在まで、吉備国際大学教授、 同校サッカー部総監督を務める

風間八宏(かざま・やひろ)
1961年10月16日、静岡県生まれ。1979年、清水商業高校在学時に日本で開催されたワールドユース選手権で活躍し、注目を浴びる。筑波大に進学し、19歳で日本代表に選ばれた。卒業後は海外でのプレーを希望し、JSLのチームの誘いを断り、渡独。西ドイツのバイエル・レバークーゼンと契約。その後、5年にわたって、ドイツでプレーした。1989年帰国して、マツダSCに所属。Jリーグ発足を機にチームはサンフレッチェ広島となり、キャプテンとしてチームを牽引した。1995年、広島を退団し、再度渡独。1年間プレーして、現役引退した。1997年桐蔭横浜大学サッカー部の監督に就任。一方で解説者として、人気を博した。2008年母校・筑波大学のサッカー部監督に就任。2012年より、川崎フロンターレ監督を務める

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