【育将・今西和男】オフトが振り返る。「あの試合、イマニシがいてくれたら」 (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko photo by Kyodo News

【profile】
今西和男(いまにし・かずお)
1941年1月12日、広島県生まれ。舟入高―東京教育大(現筑波大)-東洋工業でプレー。Jリーグ創設時、地元・広島にチームを立ち上げるために尽力。サンフレッチェ広島発足時に、取締役強化部長兼・総監督に就任した。その経験を生かして、大分トリニティ、愛媛FC、FC岐阜などではアドバイザーとして、クラブの立ち上げ、Jリーグ昇格に貢献した。1994年、JFAに新設された強化委員会の副委員長に就任し、W杯初出場という結果を出した。2005年から現在まで、吉備国際大学教授、 同校サッカー部総監督を務める

ハンス・オフト
1947年6月27日、オランダ生まれ。本名はマリウス・ヨハン・オフト。現役時はフォワードで、オランダ1部フェイエノールトに所属。28歳で現役を引退し、指導者の道を歩み始める。1982年、JSL2部ヤマハ発動機に2か月の短期間コーチとして来日。1984年、今西に請われて、JSL2部マツダSCの監督に就任。翌年に1部昇格を果たし、天皇杯も制した。1992年、外国人として初の日本代表監督に。国際大会で好結果を出し、1993年ワールドカップアメリカ大会アジア最終予選に臨むが、最終戦でイラクと引き分け、本戦出場はならなかった。その後はジュビロ磐田、京都パープルサンガ、浦和レッズなど、Jリーグの監督を歴任した

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