【育将・今西和男】李漢宰「プロとして、あるべき姿を見せていきたい」 (2ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • 織田桂子●写真 photo by Oda Keiko

 コンサドーレの開幕前の1次キャンプはグアムで行なわれることになっていた。朝鮮籍であるハンジェは米国に入る場合、ビザ取得にかなりの時間を要する。そのことがわかっていたので「グアムに行くためのビザの手続きを早めにお願いします」と早々にクラブに頼んでいた。しかし、スタッフは米国と北朝鮮の関係を甘く見ていた節があった。「大丈夫だ」と言うばかりで、手配が遅々として進まない。本人も何度も札幌の米国領事館に足を運んでプッシュをかけたが、結局キャンプ出発の日が来てもビザは下りなかった。チームが温暖の地で1ヶ月のキャンプを張る間、寒い日本に一人で取り残されることとなってしまったのである。その上、練習場の確保も「まあ、ハンジェなら自分で出来るよね?」と言われてしまう。まだ雪が深い札幌での練習は到底無理である。

 仕方なく上京し、伝手(つて)のある東京朝鮮高校の練習に参加する形でたった一人でトレーニングを開始した。最初はホテル住まいであったが、それを続けるわけにもいかず、小岩の知り合いのところから、毎日電車で北区の十条まで、ひと月の間通い続けた。

 チームとは2次キャンプの熊本で合流した。しかし、暖かいグアムでフィジカルをみっちりと鍛えてきた他の選手とのコンディションの差は歴然としていた。開幕までは、もう3週間しかない。気負い込んで負荷の強度を上げていったが、開幕の2日目にレギュラー組から外されてしまった。そこで取り戻さなくてはいけないという気持ちが余計に働いて、無理を重ねた。すると開幕後、サブで2試合出場した直後の練習試合のウオーミングアップ時に、ケガを負ってしまう。

「その段階でしっかり治してと切り替えることが出来れば良かったんですが、チームが求めてくれているんだから自分もやろうという気持ちが強くてプレーを続けました。完全でないのなら、休むというプロの選択が出来なかったのが、今思えば、経験が足らなかったかなと思います」

 右膝に大きな違和感があったにもかかわらず、90分フルで試合に出てしまったのである。その後、軟骨が剥がれているという診断が出た。それでも、そこから1ヶ月膝に水が溜まるのもかまわず、ベンチ入りを続けた。これが致命的であった。悪化して手術をするに至るも、そこから一向に回復しなくなってしまった。

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